WIND MESSAGE

by NGO

OLD WIND MESSAGE 9

1996.6.19

NGOがT邦吹奏楽部時代に書いたものを再掲載します

 もう6月も過ぎてしまいました。早いものです。

 私が東邦高等学校吹奏楽部に来てまるっと8年経ちました。今年度は9年目です。公立高校だともうそろそろ転勤を意識し出す頃です。
 そんなに長い間、一体私は何をやっていたんだろう、何か意味のある仕事が出来たんだろうか、と最近考えます。何だかんだと偉そうなこと言ってはきたものの、卒業して行ったたくさんのOBにとって、現役の部員にとって本当に何か役に立ったんだろうか、と自問自答します。

 部員(過去そうであった人も現役も)は、確実に私から影響を受けた、それは紛れもない事実だろうと思います。冷静になって考えると恐いぐらいです。みんな一生懸命私の話に耳を傾け、私の希望に添おうとし、私の一言に一喜一憂してくれます。自分の話を一生懸命聞いてくれると言うのはそれがどんな事であれうれしいものです。
 でもここに問題が2つあります。1つ目は、自分がそのうれしさに溺れていないか、2つ目は、客観的な事実として与えた影響が本質的に良かったのか、悪かったのかという事です。
 1つ目の問題は、実は私が教員をやりたくない(過去形ではない!!)第一番の理由なのです。教員という仕事は魔物です。誰だって先生と言われて崇め奉られれば自分は偉いんだ、と錯覚してしまいます。いくら自分で気を付けていても気がつくと図に乗ってしまいます。そうなってしまった先生を過去にたくさん見てきました。とてもいやな思いを重ねてきました。私も教員になったらいつのまにかにそうなるかも知れない、それだけは絶対いやだ、そんな教師に教えられる生徒は(私がかつてそうだったように)たまったものじゃない。だからその可能性の無いように少なくとも教員だけは絶対ならないでいよう、どんな事があっても先生だけはなりたくない、と思っていました。
 その私が教員をやっているのです。いくらそのつもりは無くとも先に書いたような状況になっていない保証はどこにもありません。私はその事が一番恐怖です。もし一番避けたかった状況に、もし今なっている、或いは今後なりつつあるとしたら自己矛盾を抱えてしまって、それこそ山に隠って仙人修行をしたいです。
 2つ目の問題はこういう事です。
 自分自身の生き方として、やりたい事、やっている事、考えていること、またその方向性などには絶対の自信があります。それがどんなに他の一般的な常識から外れている事であるとしても、より本質的であると確信しています。しかしながらそれを部員であるみんながどう理解するか、と言う事まで私の力の及ぶ所では無いのです。もしかしたらとんでもない誤解を私の信じる事として理解し、それを自分の生きる道、と考えてしまう人もいるかも知れないのです。それが反発だったらまだ救われます。他の生きる道を見つけるだろうから。しかし私の意図とは無関係に間違った認識を信じてしまったら、私はそれを見分ける事なんか出来っこない。「それは私の言ったことの意味を取り違えているよ、本当はこうなんだよ。」と訂正することも不可能です。
 以前の私だったらそれは誤解した人の責任だ、で片づけていました。私は私、あなたはあなた。しかし、そうも言ってられないのかも知れないと思うようになってきました。
 私の自分自身についての確信が強くなればなるほど(変に凝り固まってしまうと言う意味ではなく)その影響も大きくなる。もし誤解されていれば、その誤解も比例して大きくなる、と言う事に気がついたからです。自分の確信が強くなると言う事は、それだけ表にでる表れ方も強くなることです。良いも悪いもより強くでてしまうのです。あくが強くなる、と言う事でしょうか。

 ここ最近の我が吹奏楽部の不調はもしかしたらここに原因があるのかも知れない。私がみんなに確信をもって物を言えば言うほど誤解の上塗りをして混乱していくのかもしれない、と良く考えます。

 それでも何か言わなければならない状況を打開するために、9年目にしてクラブの大転換したいと思います。もちろんそれは、私の音楽的根本やこのクラブの目指すべき方向を変えるという意味では全くなく、それを実現するための方法の転換です。例えばこんな事です。

 その一。今まで私がおおざっぱな方向を示しみんなで具体的なことを考えなさい、という図式が多かった。しかしそれでは、方向がしっかり理解されないまま事が進んでゆくので不必要な混乱を招いていた。そこでその混乱をなくすために、指示の仕方を単純に誰もが誤解しないようより具体的にする。もしかしたらみんなは今までより「自由」が無くなったと感じるかも知れないが、そう言う事ではなくよりスムーズにストレス無くクラブの運営が出来るよう、楽器に集中し音楽上の自由をもっと増やそう、という転換である。
 その二東邦高等学校吹奏楽部は60年以上の長い歴史を誇るクラブである。その長い歴史の中には数々の引き継がれた事柄がある。しかしながら今必要なのは本当に引き継がなければならない事と、いさぎよく捨て去った方がいい事の見極めを大胆かつ正確にすることだ。具体的には私の方から指示してゆく。そして転換させて行く時に、「今まで守ってきた物が一つ消えてゆく」ではなく、「今までご苦労さん、これからはもっと発展するから見ててね。」という気持ちでいて欲しい。

 今まで何度も言ってきましたが、一番大切なのは音楽をする心です。心があるから上達したいと思いつらい練習を続けられるのです。しかし音楽に対する気持ちが少ないからといって吹奏楽をやめるというのも何か残念です。気持ちが少ないのなら多くすればよい。音楽の心が足りないのなら捜して見つけだせばよい。
 気持ちが少ない人、心が不安定な人を排除していくクラブではなく、みんなで育てて行けるクラブにしたい。
 その為の方法が解らないのなら、具体的に一つ一つの説明をし。指示をしよう。誰かの助けがいるのなら進んで助けを求めよう。最終的に心が豊かになるのならやりかたなんて何だっていいじゃないか!

 今まで私がかたくなに守ってきたたくさんのこだわりを今、惜しげもなく捨てました。自分にとって大切だと信じてきた諸々の事をキレイさっぱり忘れました。(本当は少し未練があるかな?)音楽にとって一番大切だと思う芯の部分を残して。みんなに本当の音楽の喜び解って欲しいために。音楽が生きるための力になるように。

 方法論なんかにこだわってつまづくのはアホらしいじゃないか!
 生きたい所があるのに袋小路にはまりこんでいつまで経っても同じ所から出られないイライラとさようならをしよう!
 押してダメなら引けばいい!

 今まで、前向きに一歩進めないでいることを「こだわり」という言葉でごまかしていたように思います。今この東邦高等学校吹奏楽部にとって、より発展するために自分自身を変化させる勇気を持つことが、私を含めて部員全員に必要なんだろうと思います。

 このWIND MESSAGE9は私の決意表明です。そして、みんなも私についてきてほしい!!というお願いです。